能力について [能力]
では私はどうかと言いますと、浄化と癒し以外は能力がありません。これも能力と言えるのかどうか、普通に霊視等を能力と考えるのであれば、能力ではないような気もします。だいた私が浄化出来ているかは、まおさんに確認して分かるというレベルです。もちろん浄化をするようになって数年がたちますので、自己判断で浄化が出来ているかどうかはなんとなくわかりますが、普通に一般の方に分かってもらえるものでもありません。
ただ一度だけ、霊視能力の高い方がお疲れのようなので癒しの波動を送ってみましたところ、即座によくなったとお返事をいただいた事があります。その時は自分より能力が高い方を本当に癒せたのか?という驚きが大きかったのを覚えています。ただ、自分の癒しの波動を送るやり方は間違ってはいなかったという自信にはなりましたが。
ただ、普通に能力のない人に波動を送っても無意識な奥底には効果があるのかもしれませんが、意識の上で癒されたと理解される事はありません。もちろんそれ故に普段では自分の事は誰にも話さないし、癒しの波動を送る場合は(家族やたまに気になる人に限りますが)、ひそかに黙って送ります。
このような私ですから普段の生活は能力とは無縁の暮らしで、日々の日常に追われています。能力についての私の思いというのは、まずは神仏の奇跡にあやかりたかったというのはあります。仏教の家庭で育ちましたが、神仏の奇跡とは無縁の生活でした。心の救いを求めて宗教を学びたくいろいろ独学で書物を読んでいましたが、それぞれの思想等ではどうしても限界を感じていました。最後はある書で読んだ、「ただひたすらに念仏を唱えていたら観音様の声がした、それで初めて信仰の意味がわかった。」そのような伝承レベルでいいから神仏の奇跡にあやかりたい、ただひたすらそれだけでした。
少しでいい、神仏の光を自分に感じさせてほしいと。実家は真言宗ではないのでお遍路に対しては敷居も高く感じていました。しかし、弘法大師の伝説は私が生まれた地方にもあり、不思議な話もいくつかありました。それは本当に庶民レベルの話で、なんの力もない私には一番身近にも感じました。宗派は違えども弘法大師の不思議な話を知りたい、その奇跡に与りたい、そんな思いから弘法大師について調べていく中でまおさんと出会う事になりました。
私が出会った頃のまおさんは、弘法大師と意志が通じるようになって半年がたったころのご様子でした。私は何の知識もなかった分、弘法大師と意志が通じるような人もいるのだ、お話を聞いてみたいといろいろお話を聞かせて頂きました。もし知識があれば、そのような人はめったにいないとかえって警戒していたかもしれません。もちろん、私も警戒はしていました。弘法大師と意志が通じていると言う事だが、それは本当なのだろうか、つまり嘘でたらめなという事はないだろうか。また、本当に通じているとして、それは本当に弘法大師なのだろうか、あるいは偽物が演じているのではないだろうか?
何度もお話をさせて頂き、またその頃まおさんとご縁のあった方々のお話から、確かにまおさんは嘘をついていらっしゃらない、それどころか他意は全くない正直な方で、不器用なほどにまっすぐな方だと感じました。そして、通じているものもまっすぐ故に騙されているという事はなく、まっすぐだからこそ本当のものに繋がっているとも。それは砂の中に落ちている一粒の小さな光を探すほどの難しさのようにも感じました。それくらい周りにある恐れは大きく、私の中での警戒もありながら、かすかに、この一粒の光を信じたく、そして決して消える事のない確かに光る希望でもありました。
能力について話は戻ります。その後まおさんは意志を感じるだけではなく、自由に弘法大師と話せるようになりました。今ではその弘法大師は、創造神より生まれた魂と分かり、つまり創造神と意志を通じる方と感じています。そしてもちろんまおさん御自身が弘法大師であり創造神であるとも。まおさんに続き何人かの方がまおさんのお手伝いを致すべく能力を身につけていかれています。それは能力を持っていない私にとって素晴らしい事のように感じます。これまでにある書物では分からなかったこと、感じ取れなかったこと、何よりもこの世だけではない話を教えてもらえるからです。
時に私はいつ浄化や癒し以外の能力を持つ事になるのかと聞かれる事もあります。私に答えられるのはわからないという事だけです。いつかは身につくとまおさんはおっしゃっています。少し楽しみで期待もしています。しかし、身につく事はないかもしれないとも思っています。少なくとも直ぐには。遠い遠い先にあったとしても。欲がないというのではありません。まおさんと出会う前後には有名な江原さんの書物を読んだりテレビで見たりしていました。そのような才能があると面白いだろうな、という興味で能力を身につけたいという気持ちもありました。まおさんと出会った後でも現実に自分に能力がつくとは考えられず、まおさんにいつかは能力が身につくかもといわれてから漠然と江原さんみたいなのが身につくのだろうか、それは面白いなという風に思う事もありました。しかし時がたつにつれて考え方が変わってきました。能力というのは江原さんのようなものそれ一つではないとわかったのもあります。数字のように測れるものではなく、見える、聞こえる以外にもいろいろなものがるし、同じ見えるにしても見える対象が違ったりするのだと。
私に能力が身につくと生活そっちのけで能力にのめりこむから能力がつかないように抑えてある。そうまおさんに言われ、いかにも私の性格そのまま言い当てられたようで、おかしく「その通りです。」と認めざるを得なかった事を思い出します。能力というものは江原さんのようなもの一つではないと分かった事、そして自分の性格を考えると、今の生活をきちんとしないといけない中で自分が望んではいけない、自然とそのように感じるようになりました。何よりも私が本当に知りたかった事は、能力ではなく、それを通して真実を知ることでした。もちろん自分の考えが今に落ち着くまでは能力を望んだことはないという事もなく、憧れたりもしました。それでも私に今必要な事は能力を身につけるために精進する事ではなく、能力がない自分に満足して足るを知ることなのだと感じています。
そして真実はまおさんをはじめ、能力を持ってまおさんのサポートをされる方から教えてもらえるのです。江原さんの力は一人ですべてまかなえる面があるかもしれません。しかしそれぞれにあった能力でもって情報を分かち合う事はより多角的な視野を持つ事にも繋がり、又それぞれが助け合う事にも繋がります。私は能力を持つ事よりも、そのような助け合う体制に意義があり、そのような中で得る情報だからこそより確かであり真実に迫ったものになると感じてもいます。何よりも互いを助け合う中で生まれた真実は尊いとも。
私が能力を持つ事を心待ちにして下さっている方々もいらっしゃいます。ふと私は自分に授かった座敷童子の話をしたりします。以前は全くイメージが出来なかったけど今は普通に抱いてやるイメージが出来るようになったと。霊視できる方は、それは本当に抱いているとおっしゃってくれます。そしてそのイメージこそが能力であり、分かるようになったのですねと。その言葉にその方が私に能力がつく事を心待ちにして下さっているのを感じもします。
でも、今はイメージするだけ、それが強くなるとより確かな能力に結び付くのかもしれませんが、私は今は霊的な能力とイメージは別に考えたいと思っています。もちろんイマジネーション、つまり想像力はこれからも広げたいし昔は乏しかったので、自由に想像できるようになることは楽しくもあります。でも、それ以上の事は望まない、今は霊能力とは切り離して考えたいと思っています。今の私は今の生活をしっかりする事が何よりも大切だと感じているからです。
私が能力にあこがれるよりも前に感じている事は今の生活或いはこの人生ををきちんと送る事の大切さでした。もちろん、神仏の奇跡にあやからなければこの世を生きるのには弱すぎる人間であっても。それでも神仏の存在を信じながらこの世をきちんと生きていきたい、それこそが神仏の御心にかなう事、そう思ってもいました。自然の美しさ、空の青さを思えばそれだけで人生に希望を持てるではないか。その希望は人とともに分かち合えるではないか。そして強い心で不正にも立ち向かえるではないか。きっとそうでなければ意味がない、能力を持っても良き事に使えないと。つまり、弱い心で能力を持てば、良き事に使えないばかりか悪い事に使う事に引きずられるとも。
これは今能力のない自分への言い訳かもしれませんし、あるいは生活をきちんとするために能力を抑えられているという神仏の配慮を忘れての詭弁かもしれません。しかし、私には能力を持つ事は持てるなら良いことではありますが、持たない事が不足であると考える必要はないと感じてもいるのです。逆に能力に憧れるばかりに大切な事を忘れる事のないように、「見えなくても信じてほしい。」そうキリストが弟子に話したように、見えない中にある心のわずかな思いや動きを敏感に感じ取り共感しあう事の出来るものになりたいと考えているのです。
そして、まおさんとご縁を持つ人々が能力について焦る事のないようにとも考えているのです。まおさんとご縁を持つようになって長い方ですが、後からご縁を持つ人がどんどん能力を持つようになってもいい。長く縁を持っているものでもこのように能力のない者もいるのですよ、焦ったり不安になったりしないで大丈夫ですよ。大切な事は何よりも心なんですよ。そんな感じで皆さんの踏み石になればいいかなと感じてもいるのです。
究極の御真言について [御真言 (まおさんブログ)]
究極の御真言「オン・インアン・ソワカ」について、まおさんから以前教わった事、
また他の方々とのやり取りををここに記します。
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ある方よりまおさんへ
先程ブログを読ませて頂きました。
一つ質問なのですが、「オン・インアン・ソワカ」の真言は
一日何度唱えればよいのでしょうか?
お忙しいところ申し訳ありませんが、
お答え頂ければ幸いと思います。
宜しくお願い致します。
まおさんより
【オン インアン ソワカ】
この真言は空海は毎日800回唱えると言っていますが
800回とは無限という意味もあります。
つまり心を込めて回数を数える事も忘れて一心に唱えなさい!
ということですね。
ある方より
その1
弘法大師様、まおさん、こんばんわ。
お答えをくださり、有難うございます。
丁寧に唱えさせていただきます。
そして、
【オン インアン ソワカ】
さきほど、ブログを拝読させていただきました。
早速、唱えさせていただきました。
明日から800回、20分くらいですが
丁寧に念じて唱えさせていただきます。
有難うございます。
PS:まおさんも唱えさせていただくんですね^^
その2
先ほど まお師から ご連絡を頂きました。
【オン インアン ソワカ】
イン→【因】理由
アン→【安】豊かな心
【オン インアン ソワカ】
豊かな心に成る理由がある
この 御真言の趣意は
「人々の心が豊かになり
世界中の色々な災難や争いが少なくなっていく」
と いうことらしいです。
この想いが ご神仏に届き
小難無難になりますことを願うことが
今世での私達のお役目の一つでもあると存じます。
皆様 頑張りましょう。
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まおさんの言葉
2008年09月19日 16:55
目を瞑り真言を唱える
ただ真言を唱え続ける
そこには何も無い
何も無いが広い宇宙を感じる
その広い宇宙
その広い宇宙こそ
創造神の心
その創造神の心を感じ
その創造神の空海の心を感じたとき
己の心と空海の心が一つになり
即身成仏となる
究極の御真言 [御真言 (まおさんブログ)]
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http://yaplog.jp/koubousan-333/archive/2190
『究極のご真言』
October 02 [Thu], 2008, 14:38
【おん いんあん そわか】
この真言は究極の真言だと空海から教わっております。
空海からこの真言の説明文を頂いております。
【真言は無限の可能性を秘めている
愛を育て命を生む宇宙一の究極の真言である
希望に溢れ
愛をきぼうを
あいをやすらぎを
愛をいのちを
あいを希望を
愛をうちゅうを
あいを広める】
この真言はすべての唱えものより勝るのである。
神社でもお寺でもこの真言を唱えることが功徳となるのである。
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皆様に愛の思いを感じ取っていただけますように。
地球人類を救う究極の真言!!」 [御真言 (まおさんブログ)]
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http://yaplog.jp/koubousan-333/archive/1961
「地球人類を救う究極の真言!!」
September 16 [Tue], 2008, 17:43
世界中で旱魃や地震、大きなハリケーンなどの自然災害が起こっております。
これらは、創造神が人類に警告を与えているものだと伝わって来ています。
その創造神である弘法大師空海の魂に、どのようにすれば創造神が親類に警告を与えるのを控えてくれるのかを伺うと、一つの真言を教えてくれました。
その真言は
【オン インアン ソワカ】
短い真言ですが、この真言を世界中の人々が、一人でも多くの人々が、地球人類全体の未来の平安を心から願い、唱え続けることで創造神に真言の波動が届き、どなた様も平安な世になり豊かな心で暮らせる様に成る「究極の真言」との事です。
この真言を唱えると色々な効果もあるそうです。
己の心の迷いも無くす事もできる。
己の心体の浄化をする効果もある。
心体の浄化が進めば覚醒する事も可能です。
本格的に覚醒すれば、輪廻から解脱することができ天界へ行けるのです。
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御真言の意味はまた後ほど。






